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『五等分の花嫁』 第110話 最後の祭りが五月の場合② 感想 : 五月と風太郎が進む道はどこなのか

前回,衝撃の告白をした無堂。

 

彼の言っていることは表面的には「五月を心配している」ように見えましたし,実際問題として五月の中で「母の言葉」と「自らの選択」の間で葛藤があったことは間違いない。五つ子から離れて生活していたことも,母・零奈と別れる経緯があったことも何らかの理由があるのかどうか。

 

ただまあなんといいますか。引っかかるところも多々ある

なぜ今になって現れたのか。衝撃的な告白を無神経に,ある意味軽々しい態度で迫ってきたのはなぜか。父親とは思えない軽薄さが気になります。

 

 

 そんなわけで読者のみなさんがどう思われたか調査してみたところ,案外「誤解されているだけでは」という意見が多かったのも事実。そんな無堂先生の父としての姿はどうなのか。いま明らかになる。

 

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無堂が立ち去った理由と子どもたちへの気持ち

ふーむ。

個人的に気にあるのは,「言葉と行動が一致していない」点なんだよね。

 

五月が母から聞いた話では,自分たちが生まれる前に無堂は「消息不明」になったという。お腹の子どもが五つ子とわかったとたん姿を消す。それが事実ならば,父親としての責任を放棄して逃げ出しただけの「卑怯者」です。

 

 

 

「ずっと会いたかった」「いつも君たちを想っていた」それが本当ならばなぜ最初から父親としての義務を果たそうとしなかったのか。子どもを宿した妻の側に寄り添い,支えなかったのか。

 

五月の選択を危ぶみ,相談に乗る体を示しながら「今こそ父親としての義務を」と言うが,それが本心から出てきた言葉だとすればなぜ五月なのか。母の面影を追い,間違った道に進んでいるように見えると言う言葉は教育者として本心なのかもしれない。でもその後の言葉はどうか。

 

「父として到底見過ごすことができない」「君たちへの愛が僕を突き動かした」ってええ...。お腹の中にいた五つ子に一度も会うこともなく,高校生になるまで会いに来るでもなく,母・零奈が苦しんでいた時に手を差し伸べるでもなく...。

そんな薄っぺらいいい加減な態度・関係のどこに娘たちへの愛が存在するというのか。どこに愛情を抱くきっかけや想いが生じる関わりが子どもたちとあったというのか。

 

なにもかもが表面的に見える。

それでも理由があるのではと想ってきましたが,母を捨てて逃げ出したことに対して理由を述べるでもなく「ごめんなさい」と土下座する。額から血を流しての姿をどう思いますか。大の大人が,初老の成人男性がそれだけのことをしでかして「ごめんなさい」ですか? 小学生みたいな態度じゃないですか。

 

 

 

大人ならそういった行動をとった背景を説明し,やむを得ない事情があったならそれをきちんと伝える。どれだけの後悔と懺悔の気持ちがあるのか,筋道をたてて冷静に伝える。その上で許すか許さないかは「相手」が決めることである。そこを説得しようとするあたりどことなくパフォーマンスじみて見える

 

無堂から感じられない真実味

そうした不信感を決定的にさせたのがマルオについて言及したときのことですよ。

 

「父ならもういる」という五月の言葉に対し,中野マルオは「父親として不合格」という」。その理由として

 

 

 

お母さんが死んだ時 彼が君に何をしてくれた?

 

という。

 

は?である。

こんな厚顔無恥なセリフは普通の神経していたら言えませんね。

 

そもそもマルオが五姉妹に対してどんなことをしてあげたのか,無堂が何を知っているというのか。つい昨日会ったばかりの五月,ずっと放置していた五つ子たちとマルオがどんな風に家族として絆を築き上げてきたのか。そのことの何を知っているのかと思いませんか?

 

 

 

母を失い,五人がばらばらになることを恐れて不安になり,悲しい思いをしていた時に手を差し伸べたのはマルオだった。経済的に何不自由なく手当てをし,零奈の忘れ形見が無事成長できるように彼なりに考えた最高の教育環境を与え。

 

 

その上で,子どもたちが零奈との思い出を忘れないように不器用ながら,陰でコソコソしながらも心を配ってきた。その象徴がこの文化祭のパンケーキのやり取りである。

 

 

 

玲奈を失った悲しみから子どもたちにストレートに向き合う勇気を持てなかったマルオが,子どもたちの「家族になってほしい」という想いや行動に答える形で「今度は家族一緒に食べよう」と二乃に告げたあの瞬間。零奈にも子どもたちからも逃げずに,向き合って,その愛情をしっかり示してきたのはマルオである。

 

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その間,無堂は...零奈の墓前に来るでもなく,子どもたちの様子をうかがうでもなく,経済的に支援をするわけでもなく,ただ放置していただけだった。一番苦しかった時,子どもたちが母親を失った時に無道は何をしていたというのか。何もしなかった。何もしていないのである。

 

その口で「母の死にあたってマルオが何をしてくれたのか」とは一体全体どいう論か。ただの詭弁,誤魔化しである。自分のことを棚に上げ,他人を貶めることで自分の立場を良くしようとする。ただの卑怯者,クソ野郎じゃないですか。

 

かつて零奈が感じたように,そして五月が信じなかったように,この男からは父親としての愛情も,これまでしてきたことに対する反省も,何も感じられない。

 

きっと無堂には何か別の目的がある。

五月だけに固執するのもおかしいですし。彼にはきっと,五月が教師になられては「困る」理由があるのでしょう。それが何なのかはまだ分かりませんが。

 

 

 

だってねえ...。

本当に後悔しているならば,本当に子どもたちに申し訳ないと想っているならば,こんな態度ありえますか? 食い物を喰らいながら堂々と「五月に会いに来たのに」と嘯く。目の前に五つ子の片割れである二乃と三玖がいるのに父親であることを名乗るでもなく,これまでを詫びるでもない。

 

無堂が五月の将来を本当に心配しているように思えない。そこに真実性を感じられない。

 

零奈は何を「間違えた」のか

無堂に憧れ教師を目指し,無堂に裏切られる形で五つ子のシングルマザーとなりつつも,教職に一生懸命だった零奈。

 

回想の零奈は言う。

 

 

 

間違い。

零奈の人生が思い描いたようなそれでなかったことは確かである。しかしどうだろうか。零奈が「間違い」と思っていた部分はどこだろうか。

 

 

五つ子に対する愛情や想い。そこには嘘偽りもなく,いつも彼女たちの行く末を案じていた。確実に言えることですが,「五つ子を生んだこと」「共に生きてきたこと」は一切後悔していないし,彼女にとっての生きがいだったはずである。

 

 

そして教師としての零奈

 

 

 無堂は「向いていない職業を選んだ」と言っていましたが,それは本当でしょうか。下田さん,マルオ,上杉父のような不思議な取り合わせを上手く取り仕切り,学校中の憧れの先生として尊敬されてきた。少なくとも3人にとって零奈は「素晴らしい先生」だったのである。

 

零奈のいうところの「間違い」,それは向いていない教職を選んだことではない。零奈が間違いだったと思うのは,男を選ぶ目のことであろう。無堂のような口ばかり達者で聞こえのいい,一見情熱教師のような態度。一方で口だけで,きちんと責任を取ろうともせず,自分が安全となり大した責任を追う必要もない時点で「父の責務」など言い出すような卑怯者な側面。

 

高校時代の零奈は無堂の表面的な教師像に憧れ結婚まで至ったものの,内実無堂が空っぽで無責任な男だったことを結婚後知ることになる。極めつけは妊娠後の雲隠れである。これは誰がどう言おうと「間違いだった」と言い切れる人生の選択である。

 

 

五月に対する「私にようにならないで」という言葉,それはあくまで恋愛とか男性を選ぶ目に関する発言と捉えざるを得ない。

 

 

 

一方で五月はそれを「母のようになる」という,母・零奈の人生全てと混同してしまっている。そこが彼女の誤解であり呪いである。母のような教師を目指してもいい。母のように子どもを慈しむ母になってもいい。

 

 

五月が諦めきれない,母を目指してしまうのは,家庭における母も,教師としての母も彼女が目指すに足る立派な母親だったからだよ。そのことを無意識に悟っているからこそ,母に憧れ,母を目指す。

 

 

 

 

そしてこの風太郎の台詞がいいんだ...

 

母を目指して夢を追うのと 夢を目指して母を追うのでは大きく違う

お前がそれを理解できているなら 親に憧れ志すことは絶対に間違いじゃない

 

ぐう熱である。

五月の葛藤の根源に触れ,五月の葛藤を断ち切る本質をついた言葉である。かつて零奈が教師に憧れ教師を目指したように...教師としての母に憧れ,そんな夢をサポートする教師としての風太郎とともに学ぶ。

 

 

 

第一話で五月がお願いした言葉そのままに。

今度はそれを受け入れる風太郎の「勿論だ」の言葉が力強く響くこのシーンに,「五等分の花嫁」の物語の主題の一つを見出したように思います。

 

中野五月の恋の行方はどうなるのか

ふむ。

キスしませんでしたね。まあキスする流れはどこにもなかったわけですが。

 

今回描かれたように,この二人の関係,そのまんま教師と教え子ですよね。5人の家庭教師としてサポートしてきた風太郎が教師として一歩先んじている分「なぜ学ぶのか」「何を目指すのか」ということについて語る力がある。

 

そんな風太郎の教師としての経験が,生徒にとって意味のある励ましを与え,選択へのサポートとなる言葉を紡ぎ出すことを可能にした。その言葉を五月に与えるときの風太郎はまさしく教師である。それを否定しようとする無堂とは対象的に。

 

 

...今回のお話を表面的に捉えると「風太郎と五月はどこまでも教師と教え子」と言うふうに読み取れます。実際今の段階ではそうとしか言いようがない。でもですよ。これってそのまんま「母・零奈」を目指す五月の「男の人の選択」と被ってきやしませんかね。

 

 


 

母を目指す。そのなかで唯一母が「間違い」としたのが無堂との結婚である。男の人を見る目はたしかでなければならない。本当に妻を愛し,子どもを慈しみ,家庭を大切に守る人。そんな人でなければならない。

母・零奈は無堂を一方的に誤解して誤った選択をしてしまったけれど,もしこれが母・零奈の過ちを繰り返さない中野五月という人の物語だとするならば,その理想的男性はやはり目の前にいる教師・上杉風太郎になる....。そんな構図に見えなくもない。

 

 

 

 

「勉強教えてください」と頼む五月の頬は朱に染まっている。

人生の大きな選択をし,自分の夢を選択した。そんな高揚感がもたらしたものと解釈するのは普通かもしれない。

 

しかしどうでしょう。自分の夢を後押ししてくれた,そしてこれからも自分の夢を実現するために尽力してくれる人。そんな人に対して男性としてほのかに感じた信頼感。言い換えればちょっとした恋のときめきに見えなくもなかったり。

 

余談

というわけで延長線である。

ふむ,このまま③に移行するんですかね。それだけで特別感が出てきますが。あるいは,「最後の祭りが風太郎の場合」に移行するのか,それぞれ5姉妹が③を順繰りにやっていくのか...

  

 

 

決意をした五月にもはや迷いもなく,無堂を「父」と呼ぶでもなく「あの人」という。彼女にとって無堂はもはや最後の処断をするだけの存在なのですね。故に,この点の決着についてはもう心配ないと思います。

 

そして風太郎が一花に無堂のことと知らせていましたが,無堂が来ていることはこれで五姉妹で共有されました。一花の表情から判断して,彼女たちも無堂を父と認めることはないでしょうね。

 

 

こうしてみると文化祭の構成すごいですね。二乃のエピソードを通じてマルオと本当の家族となることがこれより「先」に描かれています。無堂が何を言おうと中野姉妹はもう揺るがないですし,父としてのマルオもぶれないでしょう。

 

例の上杉父の「同窓会」と言う発言もありますが,五月の拒絶を含めて無堂が袋叩きとなる結末が見えてきたように思いますね。そこで語られるであろう無堂の真実と,本当の父となったマルオの姿。みんなが「家族となった」瞬間がきっと描かれるのでしょうね。

 

そして最終日には風太郎の決断もある。

いろんな問題解決が同時並行的に行われているので複雑怪奇ですが,恋愛的には最終日の教室で結論が出る。「誰も選ばない」といっていた結末はおそらく覆され,本当の意味での結論が出るでしょう。

 

今回重厚に描かれた風太郎と五月の物語に集約していくのか。あるいは未だ完全に報われたとは言えない四葉の物語へと集約していくのか。あるいは思いをストレートに表してきた一花・二乃・三玖の物語へと集約していくのか。ワクテカが止まらないのである。

 

ということで再度まる。

  

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