さてと。『かぐや様は告らせたい』第221話の感想です。
本シリーズのタイトルは 四宮かぐやの無理難題「仏の御石の鉢」である。これ,随所で話題になっていたと思うのですが,そもそも「仏の御石の鉢」ってのは暗喩となっている人物としては大仏こばちなんですよね。
ところがこの一連のシリーズでは伊井野ミコと石上優の関係性をもって語られていて,そこに大仏さんの存在は希薄である。特に直近の数回は。
じゃあ一体いつどこで大仏こばちが絡んでくるのかなと思いきや,いや「こうきたか」という感じですよ。点と線が結びついたといったところでしょうか。脳みそがトップギアにはいっちゃいましたよ,こんなん。
大仏こばち。
伊井野ミコ登場時からの随行として描かれてきた人物である。「友達がいないことに定評のある伊井野」にとってほぼ唯一の存在であり,学校社会における出島であった大仏さん。そんな彼女が今回の物語のキーマンだったという訳であります。
その大仏さんですが...冒頭からメチャクチャ怒っていた。完全に激おこぷんぷん丸(死語)である。
ふむ。
直截的には石上優の気持ちが「子安つばめ」先輩から離れていることに対する怒りでである。しかしその背景は中々に複雑怪奇である。彼女の個人的な想いが諸々詰まり切っているのである。今回の一連のシリーズがなぜ「仏の御石の鉢」だったのか。そんなことが垣間見えた,かぐや様は告らせたい 第221話 の感想です。
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大仏こばちは怒りたい
大仏さんの怒りの理由は端的に二つある。一つは自身の過去のトラウマからくる怒り。もう一つは自分の秘めた想いと現状との差異から生じる怒りである。
石上がつばめ先輩に対する愛情が薄れ,忘れかけていること。
客観的に見ればそれはいいことである。既に結論が出ている恋愛についていつまでも引っ張っても仕方がない。恋愛から友人の関係へと変化し,別の人間関係を広げていくことは一般的に言って恋の後処理としては普通の事である。
だが大仏さんはそうは思わなかったんだね。
彼女にはトラウマがある。かつて自分の両親が,母の浮気によって婚姻関係が破綻し離婚に至った過去がある。それは幼い子供にとって衝撃であったであろう。大切にされていると思っていた家族関係は,永遠の愛の崩壊と共に無くなってしまった。そんな体験を見て周囲が手のひらを返したように憐みや嘲笑を浴びせかけてきたことも忘れ難い記憶である。
彼女は実体験から知っているわけです。「永遠の愛」など存在しないことを。結ばれた二人が,いつまでも末永く暮らしましたとさ,といったおとぎ話など現実には存在しない事実を知っているのです。
だからこそ,それ故に,石上優が子安つばめに対する恋愛感情が薄れていくことがキッツイわけです。永遠の愛など存在しない,その事実を目の前で再現されることが辛い。俺は辛い,耐えられないッ!ってやつですよ,これは。
大仏こばちは信じたい
一方で彼女は「永遠の愛」というものが存在してほしいと願っている。
そうじゃなければ怒る必要はないんです。彼女自らが言っているように「永遠の愛など存在しない」と心の底から信じていれば,そもそも怒るのは不自然です。石上もまたそうだったと事実確認して終わりです。
クレバーな大仏さんがその事実に気づかないはずがない。
理屈では分かった上で感情がコントロールできないのは,それは端的に言って彼女が石上優のことが好きだからである。
慧眼たる四宮かぐやが見抜いたように,大仏さんがつばめ先輩推しだったのはそこに自分を重ねていたからである。
「好き」という感情はいろいろある。第182話「大仏こばちは見つめてる」(コミックス20巻・第192話)で触れられたように,好きだからと言って恋とは限らないわけですけれど,今回の彼女の反応をみれば色んな意味を含めた「好き」であることは間違いない。それが,
- 伊井野ミコと石上優の世界線が交わる前から石上優を見続けて来て。
- 石上が見せるその優しさにいつしか惹かれるようになってきて。
- そして石上が伊井野ミコに対してその優しさを振舞って。
- それが石上によるものと気づかないまま,伊井野ミコがその優しさを享受して。
この有様である。
こんなんね,大仏さんからすればブチギレ案件になるのも分からなくもないんだよなあ。
自分自身は伊井野さんが石上という存在に気づく前から彼の良さに気づいていたわけじゃないですか。その姿に恋とはまた別の感情で「好き」という認識に至る程の想いを抱えたわけです。そしてそれは今に至るまで抱き続けている感情なんですよ。
「永遠の愛など存在しない」
彼女がそう言い放つのは自らの体験から通じた経験値である。と同時に,大仏こばちは自身が石上に抱き続けている想いを通じて「永続する愛」というものが存在することを理解している。彼女自身がもつ二つの経験は矛盾しながらも並立しているのである。
だからこそ,石上の心の変化を直視するのが耐え難いわけです。永遠の愛など存在しないと言いつつも,永遠の愛を抱き続けている自分。自分が「好き」な人ならば,また石上もそうであってほしいという気持ち。そんな矛盾が湧き出た彼女の怒りだったのかなと思ったり。
大仏こばちは愛したい
前回感想を書いた後にこんなツイートしているんですけれどね。
大仏さん「私のほうが最初から石上の良さ気づいていたんだからね!」とかいう子供っぽいこじれ方だったら笑う(それはないでしょ)
午前10:39 · 2021年7月8日 @ayumie
今回のお話の構図を見てみると,あながち大外れってわけでもなかったような感じなんだよな。
かぐやさんが指摘しているように,自分の気持ちが「恋」とは異なる好きであるならば,石上に恋する伊井野さんを応援することは友達として自然のように思える。でもそれは「絶対嫌」という。なぜか。いろいろ理由を言い募っていましたが,本音の本音は明白です。
一つは単純に自分の好きな人を取られることに対する忌避感です。
本人は否定していますが,僕は大仏さんが持つ「好き」という感情は限りなく恋に近いそれだと思います。自分が知っている石上優の良さに他人が気付き,惹かれていくことに対する嫌悪感。それは一種の独占欲かもしれないけれど,言い換えればそれってほとんど「恋」じゃんね。自らのどす黒い感情に驚いていますが,それは一言で言えば嫉妬である。
ステラの栞について伊井野さんが語る時の大仏こばちの感情。その想いたるや。
ステラの栞は石上がきちんと他人を見て公正に評価できる,そういう人であることの証明そのものです。そんな石上だからこそ「好き」という大仏さんは感情を抱いたわけで。
その「自分が好きな"石上の良いところ"」が現れたものが「伊井野ミコ」に与えられていて,そのことを「喜んで自分に話す」。この喪失感,屈辱感といったらどうよ。そんなん大仏さんがブチギレちゃうのは仕方がないじゃないですか。
大仏こばちは選ばれたくない
そしてもう一つは伊井野ミコに対する親愛の情に対する喪失感ですよ。
今回,大仏さんは伊井野さんとの関係を「上っ面」と言いました。なるほど,一面的にはそうかもしれない。伊井野さんが述べたように大仏さんは伊井野さんに本心を見せない。大切なことも相談しない。彼女からしてみれば軽い,表面的な友人関係だったと思えるかもしれない。
でも話はそんなに単純じゃないんですよね。
伊井野さんに自分の本心が見せられないのは,大仏さんの石上に対する秘めた感情故である。言いたくても言えるわけがない。最初は敵対していた相手であり,いまは恋愛感情を抱いている相手のことを自分も「好き」だなんて。本心なんて見せたくても見せられるわけないんですよ!
本心を告げてしまったら二人の関係はこれまでと異なるものになる。少なくとも昨日までの友人関係は続けられない。そこにあるのは友人としての伊井野さんを失う喪失感でです。
そして話を複雑にしているのは,伊井野さんが石上に恋をしたことによってこれまで二人で閉じていた世界が大きく変化してしまったことなんですよね。
いつも二人で行動していた関係から,1対多の関係へと変化していく。大仏さんが恋の相談相手になれない上,小野寺さんをはじめ他の人間が関わっていくことになる。そしてなにより,伊井野ミコの他人への関心が自分よりも石上優にシフトしていってしまう。
大仏さんが伊井野さんと石上を結び付けたがらなかった理由,それは自身の「好き」という気持ちに加えて友人としての伊井野ミコを失うことに対する忌避感も含まれていたんですよね,きっと。その証拠がこれである。
「ミコちゃんは石上か私どっちかしか選べなかった」
そこにあるのは諦観,あきらめの境地である。そうであってほしくなかったという後悔の念である。
伊井野さんが石上を選ぶならば,大仏さんの好きという気持ちの行き場は無くなり,同時に友人関係は破綻する。もし伊井野さんと石上が交わることなく無関係であり続けたら起きなかった「恋のライバル」の関係も「友人」関係も,こうしてミコちゃんが石上と関わってしまった以上いずれは破綻するしかなかった。
それを避けたかった気持ち。無念の気持ち。そんなのが言葉と態度の節々から見受けられます。
考察(妄想) : 「仏の御石の鉢」編とは
というわけで二人の友情関係は破綻。そのきっかけとなる始まりの出会いからの過去編に続くわけですが...
過去からの経緯がどんなものになれ,この「難題」が解決するための方策は一つしかないように思います。現在,大仏さんは行き場の無い自分の「好き」という感情を抱えてもだえ苦しんでいるわけです。それを解消するためにはどうしたら良いか?
やっぱり大仏さんも素直になるしかないと思うんだよね。
この「好き」は「恋」とは違う。
最終的には本当に違うのかもしれない。でも実際に今抱えている葛藤は実質恋心に起因するものからね。ここで封印した「好き」は単純に伊井野さんに対する遠慮から生じているのかもしれないし。だったら「恋」かもしれないじゃんね!
とはいえだ。
前回,石上優は「伊井野ミコは自分にとってなんだ」と認識したわけですけれど,未だ伊井野ミコが好きと思っているわけでもありません。別にお付き合いしているわけでもありません。だったら別に大仏さんだって石上優にアタックをかける権利はあるじゃないですか。好きという気持ちをさらけ出してもいいじゃないですか。
そのことに対して誰も咎める権利なんてないんですよ。恋とは自由なものである。付き合っている二人に横恋慕するわけでもない。素直に「好き」という気持ちを石上にぶつければいい。
もし実際に大仏さんがそういう行動に出ることができたならどうなるのか。何と言っても大仏こばちは作者も認める秀知院一の,あるいはYJ史上一の美女である。そして石上優は美人に弱い...(ちょ)
まあ冗談はさておき。
「これまでの人間関係の蓄積」とか抜きにすれば圧倒的強さをもつプレーヤーである。ウマ娘で言えばオグリキャップか!ってな存在である。地方ウマ娘出身故にクラシックに出られなかったオグリが満を持してジャパンカップ・有馬記念に挑んだように,もしかすると大仏こばちが対石上恋のレースに参戦するかもしれぬ。
まさしく難敵である。強敵である。かつての友は今日の
万が一にもそうなったら,伊井野ミコからすればまさに最強の難関に見えることでしょう。実際に石上が大仏さんをどう思うかは別として。
「仏の御石の鉢」編の持つ意味は,伊井野ミコにとっての難関としてのこばちなのか。
あるいは大仏こばちがここから逆転を狙う挑戦者としての難関なのか。
何とも言えないですけれど,そんな展開がきそうだからこそ,このシリーズは四宮かぐや野無理難題「仏の御石の鉢」編なのかもしれない。そんな妄想を掻き立てたところで,今回の感想はまる。
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