さてと。2週間ぶりのYJから,『かぐや様は告らせたい』第224話の感想です。
前回は見る視点によって大きくその評価や感情が異なったわけですが,今回のお話で赤坂先生が思うところの「正答」(と言うべきかどうかわからんが)は示されたと思います。
四宮かぐや無理難題の"正体"
結局,伊井野さんと大仏さんの今回の会話を見る限り,四宮かぐやも大仏こばちも問題としていたのは一つだけ。伊井野ミコが「他人がどう思っているか考えられるか」のただ一点だけなんですよね。
なぜ大仏こばちは伊井野ミコを認めなかったのか。
それは彼女が中学時代に石上優の本当の気持ちを慮ることなく,一方的に自分の感情に基づいて石上優を支えなかったからです。石上優はなぜ伊井野さんに「お前は関係ない」と言ったのか。その背景にある感情を伊井野さんは考えようとしなかった。
その理由ははっきり明示されませんでしたが,それこそ「この時の石上の気持ちを考えて」みれば,自分のしでかした出来事とその大きさに対する影響,伊井野ミコを巻き込みたくないという防衛反応などもろもろ推察できるでしょう。
少なくとも伊井野さんが反射的に「あ,そう。ならよい」といって石上を否定した時の反応から見れば,伊井野さんが石上が何を考えていたのか,その発言にはどういう背景があったのか伊井野さんが考えた節は無い。
作者の赤坂先生は,石上優に対する数々の嫌がらせに対して伊井野ミコが黙殺した部分があることも含めて「伊井野ミコはあの時石上の気持ちを考えることができなかった」という描写をしたわけです。
割と前回よく見かけたご意見として「伊井野さんは教師に掛け合って石上の進学を実現させている。石上を支えていた。」というのがありましたけれど,多分これが赤坂先生の中で適用除外となっているのは,その行為が「石上の気持ちを考えての行動ではなかったから」ではないかと推察します。
彼女が教師に掛け合ったのは,あくまで彼女の正義感からみて「適切に提出された課題を受け取らないことは筋が通らない」からです。そこに石上がどのような感情をかかえ,どのような苦しみを抱いていたのかという背景は関係ない。結果として,高校の校長にその騒ぎが伝わり(生徒会の活動もあって)石上は進学できたわけですが,それは「結果論」ということなのでしょう。
まとめると,赤坂先生が伊井野ミコの「問題点」として取り上げたのは,
- 伊井野ミコは石上優の気持ちを考えたのか
- その行為は石上優の気持ちを考えての行動だったのか
という観点において,伊井野さんは「そうはしなかった」ということなのでしょう。その前提でお話が作劇されていることをまず認識しておく必要がありそうです。
新刊コミックス 【単行本】
他者の気持ちを理解したい
一見複雑にみえる人間模様ですが,争点となっているのは「伊井野さんは他人の気持ちを推し測り,理解しようとしているのか」という一点に集約されていることがわかります。
大仏こばちはなぜ伊井野ミコを推せないのか。
それは伊井野さんがかつて石上優の気持ちを推し測ることもなく,一方的に拒否した過去があるからです。(前回,いろんな人がその表現に憤っていましたけれどかぐやが「前科」と呼んだものです)
そしてなぜ四宮かぐやは伊井野ミコの正義を否定したのか。
それは伊井野さんの正義の行使が自分の内なる尺度によってのみ行われ,相手の事情や気持ちを一切考えないものだからです。(そしてまさしくそれが行われた象徴的出来事が大仏さんの話した伊井野さんの石上に対する中学時代の態度だったからです)
なにより,伊井野ミコ自身がそれを自分の問題点として認識している。
前回,かぐやの指摘に対して自分が石上の気持ちを考えることなく支えなかったという自己認識を抱いていることが描写されました。そして今回,「今まで自分の願望だけ通そうとしててそれを周りに押し付けてばかり」だったことを認めています。
三者三様に問題の根っことして認識していることは「伊井野さんは他人の気持ちを理解しようと試みているのか」という点であって,これが物語の根幹となっている。だからこれを受け入れた上でお話を読んでいくしかないのではないかとぼくは思います。物語の中の登場人物はそれを前提に語り合っているのだから。
対する「大仏こばち」はどうなのか
そんなの納得できない!という「伊井野推し」の方もいらっしゃると思いますが,なぜ三人がその共通認識を抱くに至ったのかという点については前節で推測しました。
もう一つ,じゃあ「大仏こばちのクソデカ感情はなぜかぐや(と伊井野さん)に見過ごされたのか」という点についても僕の考えを述べておきます。かぐやが大仏こばちの一方的感情を糾弾しなかった理由は,単に「大仏こばちは他人の感情や想いを慮っていた」からだと思います。
今回の物語でも伊井野さんが触れたように,共に正義を邁進する風紀委員として連れ立ち,選挙の時には泣いてくれた。少なくとも大仏さんは伊井野さんが何を感じ,どう思っていたのか考えながら行動していた。彼女の孤独や苦しみ,恐怖を理解して支えていた側面があった。
石上についても,伊井野さんを陰ながら支えるその姿から,彼なりの正義感と人に対する思いやりの気持ちを理解していた。大友事件において大仏自身が石上を支えなかったことは「言えた立場ではない」のは事実ですが,少なくとも石上の苦しみを理解していたと思います。(だから伊井野さんに支えとなることを託そうとしたわけで)
大仏こばちの感情発露の背景にある「他者への気持ちの理解」があったからこそ,(もとより大仏こばちに対する指導責任の不在もあって)かぐやは大仏さんのクソデカ感情に対して問題にしなかったのかな...とぼくは思ったり。
前回の最後に四宮さんが伊井野さんに課した「無理難題」も根っこはここにあります。前回感想でも触れましたが,かぐやは伊井野さんが「大仏さんの言動の背景を伊井野さんが推し測れるかどうか」を試しているんですよね。それができれば伊井野さんは自分の非の部分は認められるはずだし,大仏さんと仲直りできる。だから難題としては「大仏こばちと仲直りしなさい」という形になった。そういう構造です。
ミコとこばちは向かい合いたい
とまあ,前置きがかなり長くなりましたがここからが本編の感想です。
冒頭,石上と大仏さんの会話。なかなかに奥深いのである。
伊井野ミコとの断絶を淡々と述べる大仏さんに対して,石上優は特にその理由は聞かないんだよね。それには触れないのは,事情がよく分からないまま相手の感情に踏み込まない,石上流の思い遣りでしょう。まさしく「他者の感情を慮って」の行動である。
その上で淡々と述べられる石上の友達観というのがまた良い。リア友の少ない石上だからこそ,リアルで「話し合えること」の大切さに触れるところが重い。仲直りをすることに対する静かな促しも,お互い相手がどう考えているか話せばわかるんじゃないかという想いが根底にあるからこその助言じゃないかと思います。
なにより,石上優の伊井野ミコに対する「理解」ですよね。素直じゃないその言動の裏にある,仲直りしたいという気持ちを推察しているわけである。そしてそのことを大仏さんも理解している点もポイントですよ。この二人は「伊井野さんの気持ち」がどんな状態であるか考えて発言しているわけです。
大仏さんはそんな石上に押され,伊井野さんはかぐやに押され。
その結果,すれ違うことなくお互いが本音で語り合うことを選ぶ。
前回の引きで「これからが本番」というアオリがありましたから,ここから何話にもわたって駆け引きがあって,その後に仲直りなのかと思いきや「あっさり」この局面に来たように感じます。しかしこれを「大騒ぎした割にはあっさり...」と見るのは誤りですね。これは「相手が何を思っているのか推し測るだけではなく対話で確かめる」というプロセスに繋がっているのですから,ここで二人が本音で語り合うのは至極当然のことなのです。
- 初めて気づいた,大仏こばちの石上に対する想い。
- これまで繋がり続けてきた,一見して細く,か弱い友情。
- お互いの孤独感を埋めるための相互依存。
そうしたことが淡々と語られていきます。
伊井野ミコは理解したい
そして語られる,伊井野さんが恐らく初めて語る大仏さんへの想い。
「こばちゃんの事が好き」ということも,「こばちゃんが嫌がる事はしたくない」というのも,そのためなら「石上は諦める」というのも全部真実なんですよね。
伊井野さんは自分の気持ちを伝えることで相手に理解を求めつつ,大仏さんがそれに対してどう思うであろうか「推察」している。一方の大仏さんも伊井野さんの意図を「汲み取って」その言動の背景を理解している。付き合いが長い分,お互いが何を考えているのか理解できているだよね。まさしく「他者の気持ちを理解する」行為そのものである。
お互い相手の気持ちが分かり切っている風に進むやり取りを読者の皆さんがどう捉えるか分かりませんけれど,少なくとも二人は相手が何を考えているか推し測れる程度に「親友」なんだろうな,と僕は感じます。
そこからの「落とし所」「交渉」という表現に,司法的な響きを感じるのは意図的かもしれません。伊井野さんらしいといえばらしい表現である。自らの願望だけを通そうとする自分を反省した上で,大仏こばちの気持ちを知ろうとする。これは伊井野ミコにとって成長,ブレイクスルーですよ。四宮かぐやの狙い通り「殻」を破ったのである。
大仏こばちの「願い」を尋ねられること,それは伊井野さんが「他者の気持ちを理解しよう」とした証拠である。だからこそ,大仏さんは石上に不幸になってほしくない,ミコは石上を不幸にするであろう...と思っていた自分を改めたわけです。
だって伊井野さんは人の気持ちを推し測ろうとすることができたから。他人の感情や想いに思いを馳せることができたから。だったら,石上との間だって自分の考えや気持ちだけを押し付けることなく,石上を不幸にすることも無いだろう。
「意外とそうはならないのかもって今は思ってる」という言葉がやけにあっさり出てきたように見えますが,ちゃんとそういう理屈が大仏さんの中で通ったんだよね,多分。
このやりとりも...まあ傍から見れば「何目線?」って思う人もいるかもしれませんが,いま伊井野さんが欲しいのは大仏さんの「納得」なんだからまあ仕方がありませんね。
ぶっちゃけ伊井野さんが石上と付き合うのに大仏さんの許可なんて要りません。それでもこのプロセスを経たのは伊井野ミコは大仏さんとも友人でありたいし,その友人が納得した上でこの恋を進めたいと思ったからです。
その後の「約束する」「......ん」という短いやりとり。
実に素朴なやり取りでありますけれど,この合意は司法取引に匹敵するくらい二人にとっては重い。それを二人が理解しているからこそ,この短いやり取りで「仲直り」が成立しているんですよね...。深いなぁ...。
伊井野ミコは愛したい
愛するということは単純に「恋愛的に好き」ということだけを表しているのではない。愛するということは相手を理解すること,相手を受け入れて慮ることまで包括した概念であると僕は思います。
一連の「伊井野ミコは愛せない」というサブタイトルがやたら意味深でしたけれど,今回伊井野さんが他者の気持ちを考えながら行動できるようになったことで,今後「伊井野ミコは愛せるようになる」のかな...とかぼんやり思ったり。
最後,大仏さんが言った言葉が意味深ですね。
「付き合いが長い人なら ミコちゃんの良さも分かってるはずだからさ」
生徒会のやり取りを通じて積み重ねてきた伊井野さんと石上の関係は決して無駄ではなく。伊井野ミコが自分にとって何なのかと考える程度に石上の心の中に入っている。長い付き合いだからこそ,石上は「伊井野ミコの良いところ」を理解しているはず,と大仏さんは思っている。
そしてその言葉を,長らく友人であり続けて伊井野さんの良いところも,そのことを石上が理解しているであろうことも「理解している」大仏さんが言うのがなんかとっても良いなあ...と思ったり。
それにということで,今回の感想はまる。
映画「かぐや様は告らせたい」ファイナルについて
いよいよ 明日8月20日(金)封切ですね。
観に行きたいところですが,いまのところどうなるか分かりません。YJの予告や橋本環奈さんのTwitterなどを見る限り,体育祭・文化祭と氷かぐや(普通のロマンティック)はやるみたいですね。ちょっと気になる。
行けるかどうかはっきりしないのですが,観たら感想は書いてみたいなと思っています。
(追記)行ってきました。よろしければ。
現実逃避のご案内
Google検索で記事が出なくなったら、検索語に「現実逃避」を付け足すと見つかりやすいです。
新刊コミックス
*画像引用は中止しました。