上弦の壱・黒死牟戦も佳境です。タイトルは「
漢和辞典(大辞泉)で調べてみると「匪」とは現在で言うところ「非」。①あらずであったり,②わるものという意味があるようです。用例に「匪石」とあるので,"石にあらず"という意味で用いられているみたいですね。
参考文献
圧倒的実力差で柱3人を圧倒する黒死牟さん。
無惨の血をふんだんに分け与えられた最強の「鬼」。始まりの呼吸の剣士の一人として熟達した「月の呼吸の剣士」。痣者でもあり,かつ「透き通る世界」が見える実力者である。そんな圧倒的上位者に対して行冥,実弥,玄弥,無一郎はどう抗うのか。
勝利への道筋と,今後起こり得る悲劇の両方が見えてきた173話です。
「透き通る世界」
上弦の鬼には柱二人がかりでも大変であると言われていたわけですが,無惨を覗いて最上位の鬼であるところの黒死牟さんには柱三人がかりでも体のごく一部を傷つけるので精いっぱい。
この実力差は何だろな...と思ったら,そういえば黒死牟は「透き通る世界」を見る能力者だっけ。かつて炭治郎が猗窩座を倒した際に到達した境地。すべてがゆっくり見え,それ以上の速度で相手を切ることができる。そんな「透き通る世界」が見える能力とは何なのか,今回明らかになりました。
あまりにも速すぎる黒死牟の攻撃。
なるほど...三百年も生きているだけあって,技の数も半端ないのである。痣者が齢二十五で他界するのだとすれば,新たなる技を身に着けるのに三百年は長すぎる。使うべき相手がいたかはともかく,黒死牟が己の強さを極めるために技をどんどん創り出していったというのはありそうである。
しかしその「速さ」とは鬼の能力や,鍛え抜かれた肉体,呼吸の剣技などだけによるものに非ず。「透き通る世界」が見えるその能力によるものが大きい。これが岩柱・風柱さんと黒死牟の差。
では「透き通る世界」とはそもそも何なのか。
相手の脈動。筋肉の動き。そういったものが近くできる能力。それ故に,相手が次にどんな行動をとろうとしているのか「読める」。相手の動作が事前に予測できるので,一手先に行動することができる。
それを知らない者からすると「すべて読まれているように」思えるし,攻撃動作に入る前から,次の技を出そうと考えた瞬間に「次の行動を読まれた」ように思える。"神通力か?"と岩柱さんは疑問を抱きましたが,知らない者からすれば超能力でも使われているのかと思っても不思議ではない。
「匪石之心」が開く道
しかしそこで「神通力か?」で終わらないところが鬼殺隊最強の柱・悲鳴嶋行冥さんである。
鬼とは人間の形が変貌したもの
鬼にできることは人間にもできる
この境地である。
確かに鬼はもともと人間である。それは鬼の始祖たる鬼舞辻無惨とて同じことである。そもとも彼が何故鬼になったのかという部分も興味深いところですが,原点は「人間」である。故に鬼ができることは人間にもできるはずである。
ここで面白いと思ったのが,見えぬ目をもつ行冥がそう認識したところなんだよね。黒死牟は何らかの知覚を用いて相手の動きを先読みするような情報を「認識」している。それは鬼だけにある特別な器官に基づくものではなく,人間にもできる知覚情報である。
そのように悲鳴嶋さんが問題の所在を「認識」したからこそ,視えるようになったわけだ。相手の呼吸,血脈,筋肉の動き。そうしたものを認識することによって...まるで相手の肉体が透き通るように把握できるようになることによって...相手がこれから何をしようとしているのか認識できるようになる。
それはかつて空条承太郎が「時は止められる」という事実を認識したためにディオの「世界」に入門できたのと似ている。
極限まで相手を刮目し,自身の認知能力を高めた結果得られた境地...それこそが「透き通る世界」の能力だったというわけだ。
今回のタイトル「匪石之心が開く道」とは,石のように固くない心,すなわち常識には捉われない柔軟な発想と応用力をもってして新たなる世界を「認識」し勝利への道筋をが見えたことを指しているのか。そんな岩柱・悲鳴嶋行冥と,同じく霞柱・時透無一郎を表していたのかもしれないなあ。
見えてきた勝利への道筋
柱稽古の成果ともいえる連携の妙。時透無一郎の策に全員が乗っかって勝利への道筋が見えてきた。
無一郎の作戦はこうである。
まず余命少ない自分は捨て石となり,とにかく黒死牟の動きを止める。上弦の壱の首を切れるとしたら,刀を振るえる悲鳴嶋か不死川実弥しかいない。故に自分が切られる覚悟で上弦の壱を一瞬でもいいから止める。
しかし相手は最強の鬼,上弦の壱・黒死牟である。自分を一瞬に切り捨てて柱二人に対処してしまうかもしれない。そこに玄弥の存在がある。
前回,回想で炭治郎が玄弥に言っていた言葉。「一番弱い人が一番可能性を持っている」が活きてくるのである。黒死牟は岩・風・霞の三人の柱を念頭に対応を考えている。そこに玄弥の存在は「認識していない」。いかに能力があろうとも認識していなければ対処は考えない。玄弥の戦闘力を鑑みれば仮に攻撃を受けてもノーダメージであろう。
だが100%の力で全力で柱三人に対処しているとき,自分の首に傷を与えかねない弾丸が飛んで来たら。胴切りにしたはずの玄弥が,「自分の髪と肉体から作った刃先」を食べてそれなりの「力」をえた玄弥の「日輪刀と同じ効果を持つ弾」を当てに来たら。
黒死牟の能力を得て「百中の認識」ができるようになった玄弥の散弾銃は自分の首めがけて飛んでくるわけである。無論,黒死牟はそれに対処できる。でもここで玄弥の弾丸に対処した分,「次の一手」が遅れる。
玄弥の弾を薙ぎ払った黒死牟の側には岩柱・行冥,風柱・実弥が迫る。本来悲鳴嶋と不死川の二人に対処するつもりだった黒死牟は,一つの動作を玄弥に奪われている。まさにこれが最後の勝機であろう。
黒死牟に残された一手により行冥と実弥のどちらかは「切られてしまう」かもしれない。しかし残り一人が黒死牟の首を切る。「必ず」と無一郎が断言しているのである。刃さえ届けば黒死牟の首は切り落されるのであろう。
文脈的には玄弥が「隙」を作っているので,最後に「切る」のは風柱・実弥だろうか。兄弟の鬼斬りが,かつて兄弟の袂を分かち合った黒死牟を倒す。そんな絵図が見えてきたようにも思えたり。まる。
不死川兄弟の運命
そうなると行冥は切られることになりますが,さてどうでしょうか。あるいは実弥が切られ,岩柱さんが止めを刺すのでしょうか。いずれにせよ,兄弟の物語が残っているのは間違いない。
もし切られるのが実弥だった場合,弟・玄弥は当然悲しみに暮れるでしょう。激しい怒りとともに黒死牟に襲い掛かるかもしれない。鬼となってまで兄を心配し,兄のために戦おうとする姿に,黒死牟は何を思うのか。そんな想像もできます。
あるいは切られるのが行冥だったとしても,玄弥からすれば師匠です。同じく黒死牟に対する怒りはあるでしょう。だが二十五をすぎて痣者となった悲鳴嶋さんからすれば,どうせ同じことと玄弥を諭すのかもしれませんね。
しかしそうなると気になるのは玄弥の「鬼としての変化」ですよ。前回も予測しましたが,実際に玄弥の変貌は劇的過ぎます。痣が出ているばかりではなく,この目は既にただの鬼を超えて「上弦の鬼」レベルに達しているようにも見えます。気のせいでしょうか。その目の中に文字が見えるようにも見えるのですが...。もしかして,玄弥が上弦の「伍」になりかかっている...?
いまは黒死牟の肉体を食べ,能力がアップしたところでとどまっていますけれど,ここまで鬼化すればほどなく鬼舞辻無惨は玄弥を認識するでしょう。もしかすると精神的に支配されてしまうかもしれない。そうなった時,前回予想したような不死川兄弟の葛藤が生じるのかもしれない。
鬼になってしまった玄弥と。その玄弥を守ろうとする兄・実弥。
かつて炭治郎が禰津子を必死で守ろうとしたように,実弥もまた玄弥を守ろうとするのではないか。玄弥を鬼から人間に「戻してやりたい」と願うのではなかろうか。そんな葛藤を黒死牟は見て自身の出来事を思い出すのかもしれない。
余談
以前,黒死牟こと継国厳勝は言ってしました。かつて鬼喰いの剣士がいたと。その剣士は同を輪切りにされ「絶命した」と。
これ,やっぱり継国厳勝のことかもしれないな。171話感想でも予想しましたけれど。
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始まりの呼吸の剣士の一人でありながら鬼斬りの能力に劣った厳勝。日の呼吸の剣士である兄弟を助けるために「鬼喰い」をしてパワーアップし無惨を追い詰めるものの,完全な鬼となってしまう。やむを得ず日の呼吸の剣士は厳勝を切り絶命するものの,無惨の血によって蘇る...。
以前,「強さを求めるために」兄を裏切ったのではないかと予想しているのですが,今回の予想もそれなりに筋が通りますね。鬼になったのは「不可抗力の果て」だったというのは裏切りよりも若干受け入れやすい流れではある。真相はまだ分かりませんけれども。
どちらが正しいのか,あるいはまったく違う理由なのか分かりませんけれど,遠からず真相は上弦の壱・黒死牟こと継国厳勝の回想で明らかになるのでしょうな。不死川兄弟の物語とまた対比的に楽しみである。というわけで再度まる。
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*画像は週刊少年ジャンプ2019年41号 『鬼滅の刃』 第173話 より引用しました。
画像引用は中止しました。