歴代の中でも最高レベルの柱三人に対し,「まとめて斬れる」というほどの高次元な強さをもつ黒死牟さん。その完璧な強さに楔を入れる一撃を放ったのは,最弱の兵・不死川玄弥。
黒死牟の髪と刃先を食べることによって劇的に身体能力が向上した玄弥。もちろん,黒死牟の一部を取り込んだところで黒死牟を超えることなどできません。黒死牟を止めにかかった無一郎も,弾丸を放った玄弥自身も,「玄弥が「首をとれる」などと思ってはいない。
事実,全ての弾丸は黒死牟によってはじかれて命中していない。だがそこに一瞬の「余計な動作」ができる。かつて炭治郎が玄弥に語った「ギリギリの戦いの中では一番弱いものがバランスを崩すことができる」というそれである。
ここまでは前回感想で予想した通りの流れだったのですが,ここから「血鬼術」が来るとは思っていなかったぜ。なるほど...
完成した「譜面」
鬼ならば血鬼術は使えること自体は不思議じゃないですが,こうして「鬼喰いによる鬼」も使えるという発想はなかったぜ...。
考えてみれば無惨の声が聞こえた段階で相当鬼化は進んでいたわけですし,前回ラストの玄弥の様子を見ればもはや上弦に届かんとするレベルの鬼化が進んでいるようにも見えます。血鬼術が使えても不思議じゃない。
そこで玄弥が倒すためではなく「止める」ための所作をしたのもよいね。自分の役割はあくまで「止める」こと。剣も振るわば届くまい,である。こうやって血鬼術で体も腕も固定してしまえば,身体能力で上である黒死牟とて拘束を外すには時間がかかる。その一瞬の隙が死線を分ける。
強さを極めんと黒死牟こと継国厳勝が鬼になってまで得たその力は,逆に自らの運命をも一瞬で見極めることができる。自身の生命の危機。平静が足元から瓦解する感覚,というそれは「死」が間近に迫っていることを理解しているということである。玄弥が作った一瞬の隙の前に,痣者でもある歴代最強クラスの柱の剣はもう直前まで迫っている。
止めさえすれば,行冥か実弥が必ず首を斬る。無一郎が確信した譜面がついに完成した瞬間である。
「剣を極めし者」への道
死を直前にしての黒死牟さんの回想。
ふむ...。この展開パターンだと,やはり次の瞬間黒死牟の首は切り落とされていそうですね...。想い出の内容も「四百年前の臨死体験(違)」だしね。
鬼となって六十年余り。その時すでに黒死牟さんは上弦の壱ですが,そんな赤い月夜に出会うはずもない弟・継国縁壱と再会する。
ふむ...。やはり痣が出たにもかかわらず二十五までに死ななかった者とは始まりの呼吸の剣士・日の呼吸の縁壱であったか...。
かつて竈門家を一時訪れたときには何も為せなかった自分を嘆いていた縁壱。だが六十余年を経て再び黒死牟こと厳勝の前に姿を現したのは,鬼になってまで強さを求め続けた兄を斬るために生きて姿を現したのであった。
そんな六十余年を経て明らかになる,兄弟の関係。
なるほど...。兄・厳勝は弟・縁壱に対して嫉妬ともいえる感情を抱いていたのか。「目障りだった」というその表現からは,並々ならぬ劣等感・嫉妬心が見え隠れします。
日の呼吸使いである縁壱は,痣者でありながら二十五を越えて生き延びる特例者。剣技も無惨をあと一歩まで追い詰めるほどの冴え渡るもの。それを無感情としか思えないような泰然とした弟が持っていたとならばなおの事腹が立つのであろう。
「強さ」を信奉し,その強さを失わないため,強さで弟・縁壱を超えるために鬼となる選択をしたのであろう厳勝からすれば,縁壱は「すべてを手に入れた存在」のように見えたに違いない。自分は倒すべき鬼に堕さない限りその肉体も剣技も崩れ去ってしまうというのに...。
強さを追い求めるがゆえに,それを上回る強さが「幸運かなにか」のように与えられている縁壱に対して怨嗟の想いを抱え続けてしまったのだろうな...。「剣を極めよう」とした者としてあまりに憐れである。
黒死牟・継国厳勝の「選択」
六十余年が経ち,再び垣間見えた弟がそのような憐憫の情を自分に向けてくる。強さにとらわれた憐れな鬼...そこまでしても自分より「弱い」憐れな鬼に憐みの感情を見せながら,鬼斬りとして始末するという決意の剣を向けてくる。
老骨にもかかわらず一瞬で首を切り落とされる寸前となる厳勝。この時,次の一撃で頸は落とされるという確信をもち,目前に迫る死への焦燥...超えたいと思いたかった弟に対する敗北感,もうこの強さを保つこともさらに極めることもできないという焦り。
だが次の一撃を喰らう前に,嫉妬と羨望の対象であり,自ら越えたくて超えられなかった弟・縁壱は寿命が尽きて死んでいた。ぬう...。
なるほど。
強さを追い求めてきた理由はたぶん「縁壱を超えること」だったんだけれど,こうして縁壱が寿命で死んでしまった以上,厳勝は決して縁壱を超えることは無く,これからも超えることができない運命になってしまったのね...。
まして。齢八十にも届く老骨の剣にもかかわらず,あと一歩で自らの死を確信させられるような状況である。永遠に乗り越えられない壁。強さの呪い。これは無惨の呪いどころではなく,黒死牟が永遠に渇き続ける呪いであっただろう。
となると,この後の一撃を喰らった後の黒死牟さんの「選択」が気になるところです。頸を切られれば鬼は崩れ落ちて死ぬ。無惨を除けばそうです。だが猗窩座さんの例もある。「さらなる高み」をもとめて生に執着するのか。決して渇くことのない「強さへの切望」を胸に抱いたまま無間地獄をさまようのか。どうでしょうね。
彼のこれまでの生き様を見てくれば,猗窩座のように諦めずに強さに執着しそうである。それが地獄への道と分かっていてもだ。決して超えられない壁・緑壱の幻影を追うことになるとしても....。
二つの兄弟の分かれ道
だがそうはならない可能性もある。不死川兄弟の存在である。
弟に生きてほしいと願った実弥,兄を助けたいと願った玄弥,そんな二人をこの後どんな運命が待っているか,まだ分からない。
黒死牟の肉体を食べた結果,血鬼術まで使えるようになった玄弥。鬼になってまで「強さ」を求めたのは兄を助けるため,兄と再び気持ちを通じさせるためでした。どんなに兄に拒絶されようとも,その理由が明らかになった後も,玄弥は変わらず兄・実弥を想っている。そんな弟・玄弥の幸せをだれよりも願っているのが実弥である。
鬼喰いの最後がどうなるかは不透明である。食した鬼(黒死牟)に意識を支配されるようなことは無いでしょうが,鬼舞辻無惨は鬼を支配できる。血鬼術まで使えるようになった玄弥は最早ほとんど鬼舞辻の血を分け与えられて鬼になった者とそう変わらない。
玄弥が玄弥でなくなりそうになったとき,実弥がとる行動をみることになるのか。無惨に支配されかけ,師匠や兄に刃を向けそうになる玄弥の葛藤や拒絶,兄・実弥の愛を見ることになるのか。あるいは「強さ」を否定し「兄弟愛」を貫こうとする玄弥に己の価値観を覆されるのか。
そんな兄弟愛を見る中で,かつて黒死牟こと継国厳勝の中にもあった兄弟の純粋な親愛の思い出...。そんな記憶を引き出すことで,黒死牟は最後に人間の心を取り戻すのかもしれない。もしかすると。
無論,猗窩座とは違う道を行く可能性もある。
そうなった時,満身創痍の4名が勝つ道筋が見えてきませんが,鬼が人であった以上,最後は人らしく死ぬこともできるというのはこれまでも見てきた話。上弦の壱・黒死牟こと継国厳勝は縁壱との思い出に何を見るのか。興味深いところである。まる。
余談
黒死牟が未熟とは言え獪岳を鬼にしたのも分かりますね...。あれも兄弟弟子に対する嫉妬心みたいなものが底にあったからね。強さに対する渇望と弟弟子への嫉妬心。そこに自分を見たのかもしれない。
さて,これまで「始まりの呼吸の剣士」とか「日の呼吸使い」と認識していた男の名は継国縁壱と判明しました。
なるほど。例の刀の里にあった訓練道具は始まりの呼吸の剣士の動きを再現したものとして「縁壱零式」と命名されていましたが,そんまんまだったね。縁壱の名前からつけたのか...。鬼滅感想勢の皆さんは遠の昔に気づいていたんだろうな。
そして改めて考えてみると,これが遺されているということは,竈門家を離れた後に縁壱は再び思い直し「鬼斬り」としての道を再び歩み始めたということである。それ故に今回の回想にあったような出来事が起きているわけですから。
となると気になるのは「日の呼吸」の伝承についてですよ。竈門家はヒノカミ神楽という形で「技を見様見真似で」伝承してきたと解釈していたのですが,それにしては炭治郎の父は実戦力があったよね(熊の一件)。もしかすると縁壱はどこかで正式に「日の呼吸」法について竈門家に伝承したのかもしれないな。
そんなことをぼんやりと思ったり。というわけで再度まる。
最新コミック
*画像は週刊少年ジャンプ2019年42号 『鬼滅の刃』 第174話 ,同102話,153話より引用しました。
画像引用は中止しました。