冒頭,目が虚ろな産屋敷輝利哉さんである。
齢八歳にして産屋敷を継がざるを得なかった輝利哉さんの境遇は察するものの,この度の大量の隊士の命の消失は衝撃的だったというわけか...。人の上に立つ才覚のある産屋敷の一族と言えども,まだ八歳である。現代なら小学2年生ですよ。お労わしや,輝利哉様...というやつである。
その肩にのしかかる重圧をはねのけて見事な指揮をとってきたと思います。最後の指示はきちんと「届いていた」けれども,隊士たちの打倒無惨への想いが迷いを産み,結果として命を失わせてしまった。
輝利哉だけの責任じゃないのは読者には分かりますけれど,やはり前回感想でも触れたようにこれが先代お館様だったら皆一目散に待機していた姿が目に浮かぶだけに,本人の喪失感は底知れない。
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産屋敷の長「お館様」の責務とは
そんな動揺を隠せない輝利哉に対し,頬を張って現実を直視させる妹・かなた,くいなが残酷でもあるし頼もしくもある。
8歳の子供に鬼舞辻無惨などという役災退治のトップを任せ,次はどうするなどと通常ならあり得ぬことである。
かつて教祖様こと童磨さんは「大の大人が子どもに涙流ながらどうすればいいと泣き喚く。頭は大丈夫かと心配になる」と嘯いていましたけれど,常識的には実はその通りである。大勢の命を守れるか失うかの瀬戸際に,子どもにどうしたらいいのかなんて尋ねる方が「おかしい」のである。
にもかかわらず,そんな責任を8歳の子どもが背負い,状況を把握して指示を求め,戦いの指揮をとるように促すのはなぜか。それ即ち,鬼舞辻無惨なるものを生み出してしまった血筋の末裔としての責任。数百年にもわたる無惨の大罪の一翼を担う家系の長としての責任ゆえである。
泣くことも,逃げることも,現実逃避することすら許されない。闘いは未だ終わらず。すべての産屋敷の長,「お館様」が背負ってきた重圧と苦しみ。その責務を輝利哉が受け止めた瞬間ですよね...。実に重い。
立ち直ったお館様の指示は明確である。
- 無惨の位置の補足
- 監視の目を広げる
- 無惨を倒せる可能性のある者を集中的に投入する
この3点である。
第1点は当たり前のことですが,無惨を自由にしてしまえば各個撃破で鬼殺隊は全滅してしまう。それに仮に追い詰めたとしても逃げられてしまう可能性もある。当然の指示ですね。
そして2点目も第1の指示と重なりつつ,分散している戦力の把握と集中の指示に繋がっているわけですから。
そしてなにより第3点が重要である。無惨を倒す可能性があるとすれば,それは残された柱全てを同時投入するしかない。
ぶっちゃけた話,柱と無惨の戦闘力の差はかなり大きいのだと思う。上弦の壱・黒死牟ですら柱3人がかりでも圧倒的に押されていたのである。残された柱5名を全て投入したとしても,勝負になるのか分からない。
しかし戦闘の常として,圧倒的上位のものを倒すためには,その時持てる最大戦力をぶつけるしかないのはこれまでの歴史が証明している。その意味では鴉に無惨復活を知らせ,集結を知らせさせるのは当然至極ですよね。
吐き気を催す邪悪,無惨と対面す
さてその無惨です。
残る手札は鳴女ぐらいですが,彼女は戦力的には当てにする必要もない小物です。戦うという観点で言えば,もはや無惨本人が唯一無二の最強戦力である。
そんな無惨と炭治郎・冨岡義勇がついに邂逅する。
忘れもしない,自分の大切な家族が奪われた日。浅草での初めての接触,その後に築かれてきた数々の仲間たちの死。先代・お館も含め,無惨のために犠牲になった者全てを背負って対面すれば,完ギレするのも当然至極である。
こんなん落ち着けという方が無理ですよね。顔面ピキピキとなっている炭治郎,普段が柔和なだけに怖いくらいである。そんな炭治郎を「落ち着け」と諭す冨岡義勇だって人のことは言えない。顔面に怒りの血管が浮かび上がり,眼は血走っているのである。そこで冷静に落ち着けと言えたのはさすがですが,いやいやいや,まずは君が落ち着け!(つ 水)ですよ。
そんなキレ気味の鬼狩りたちに対してのまた無惨の物言いがその...何て言うのか...最低最悪でしてね。まさに「汚物」としか言いようがない存在,無惨ここにありといったところですね。
自らを天変地異の災害のごとく捉え,生きながらえた命あること自体に感謝せよと言わんばかりのその物言い。全てが自分ありきであり,自分の為に生き,他人の命を顧みない。
鬼は...黒死牟も,童磨も,猗窩座たちも,無惨に近づけば近づくほど好き勝手な理屈を述べ強さや殺しの理由を述べてきた。そこにあったのは基本「己の事しか省みない」という精神である。そこは貫かれている。
しかし上弦であろうとも彼らが最後に鬼狩りに首を斬られたのは,最後「人であったころの自分の記憶」によって省みる機会が....それが反省や後悔を伴うものか否かはともかくとして,人間の部分を一部でも残してきたものはみんな鬼狩りに切られて死んだ。かつて無惨が言った通り,「人間を残してきたものほど弱い」とはそういうことであろう。
しかるにこの無惨,自らを大災と位置づけて身勝手な理由を曰う様は,人間らしさの欠片もない。人が人として当然に思う,愛されたものを失った悲しみや,奪った者への怒りといった感情を理解できていない。それを「異常」と罵り,その相手は「疲れる」といった勝手な物言いは,完全に人ではない,狂った思考である。
そんな無惨に対し,静かに打ち震える竈門炭治郎。
かつて無惨の首を斬りかかった縁壱と同じように,無惨を追い詰める剣を振るうのか。穏やかな心を持ちながら静かな怒りに目覚めた炭治郎がさらなる飛躍を遂げるのか,あるいは返り討ちにあうのか。この先の戦闘,予断を許さないですね。
鍵を握るのは「鳴女」
それはさておき。
ここまでのところ柱分散という点においては鳴女さんが大活躍である。空間制御という独特の戦法により見事に柱2名を分断している。この2名が無惨戦に回るか否かは鬼殺隊の死命を決する戦力ですから,ここまでは無惨側がうまく分断している形ですね。
蛇柱さんの言う通り,ここで鳴女は放置して無惨に向かったとしても結局合流を阻まれるだけである。そこんところが分かっていない恋柱・甘露寺蜜璃は相変わらずアホの子可愛いですね...。闘いの最中にほっこりしますが,ぶっちゃけ大問題である。
「弱いコマが強いコマを抑える」を敵方がうまくやってしまっている以上,ここはなんとか鳴女をどうにかしなきゃならないのだろうな。ってどうにかなっているみたいですけれど!
予告ぅ!
おいおいおいおい。あまり笑わせないでくださいよ。予告で鬼籍枠に鳴女が入っているじゃん。既に死亡扱いとは一体全体どういう事なるかな。
ヒントっぽいのは「恋柱」を掴んだ手ですかね。これは十中八九,愈史郎であろう。
先ほどまで炭治郎と一緒にいたはずの愈史郎が無惨と面した時にはいない。ということは愈史郎は偶然にせよ意図的にせよ,別のところにいるということである。もし愈史郎が意図的に鳴女の方に来たのだとすれば,その意図は察しが付く。
鳴女の血鬼術は空間変異である。敵方の空間を操作し,本来の位置関係から相手の攻撃をそらすわけです。これ,よく考えてみると動きのベクトルを血鬼術で「変えている」ということだよな。
動きの変化...というものを見切るにあたり,そういえば愈史郎は既に一度その能力を活かしているじゃないですか。蹴鞠鬼の時に炭治郎に「眼」を貸すことで毬の軌道を把握させているのである。もし空間把握に長けた剣士である蛇柱さんに「愈史郎の眼」が加わったら,鳴女の空間変異能力もその作用方法が見えるんじゃね。
一度見えてしまえば攻撃力の弱い鳴女は無力である。にゅるにゅると力のベクトルを縫うように蛇柱・伊黒小芭内なら鳴女の首は取れるんじゃなかろうか。
まあ「鬼嫌い」である伊黒さんが素直に眼を借りるかどうかわかりませんが,多分最終的にはそうなるのでしょう。それは愈史郎が無惨ではなく鳴女の方にやってきた理由がもっともすぎるからである。
鳴女はこの戦いのカギを握っている。
彼女がいる限り,無惨は「無限城」に守られる。太陽の陽を浴びることなく隠れていることができる。そして鳴女が柱2名を分散することにより,無惨が冨岡義勇,炭治郎,悲鳴嶼行冥,不死川実弥を各個撃破する可能性がぐんと上がるのである。
一見暴力的で粗暴に見える鬼舞辻無惨は伊達に何百年も生き延びていない。非常に合理的に戦力を分断している。同じように愈史郎も合理的に考える。まず「鳴女」を倒し,戦力分断をさせないようにする。その後柱5名を集中投下して無惨を倒す。そのロジックは恐らく小芭内にも通じるであろう。
力は柱に及ばなくても自分にできることで無惨を討ち滅ぼす。珠世を殺され,はらわた煮えくりかえる想いであろう愈史郎が無惨ではなく鳴女の方にやってきたのは,結果的にそれが「無惨を倒す近道」だったから...ではないかと思ったり。
まる。
余談
次は鳴女のパートになるのか,無惨との戦いを描き始めるのか,どちらでも行けそうな「引き」でしたがどうなるでしょうか。
それにしてもこのセリフ,冨岡義勇には響くよな。
錆兎に救われ,気絶していただけで生き延びてしまった自分と闘って死んだ錆兎。そのトラウマと向き合って戦えるようになったとはいえ,それをそもそもの元凶にいわれるとは腸煮えくり返るところであろう。
その義勇さん,懸念としては彼は猗窩座に刀折られていなかったけ。鬼狩りである以上,日輪刀がなければ無惨を切ることは出来ない。そこんところどうなるのかな。ダイの大冒険の真魔剛竜剣じゃないんだから,自己修復なんかしないだろうしな(それは刀匠の否定だわ)。
だとすれば別の刀を持っているのでしょうか。何も考えずに無惨と対峙しているわけじゃないでしょうが,気になります。
最後。
少し大きな話になりますが,鬼滅の刃という物語の「締め方」が気になりつつある。なるほど,無惨は物語史上最悪の汚物でありますが,さて物語的には無惨を斬って(あるいは陽の光をあてて)はい,お終い...っていくのかな?
無惨を倒すことが目的であるのは間違いないですが,物理的に無惨の命を刈り取ればそれが「勝利」なのかしら。まあすべての鬼はそれで滅ぶからそうなるのでしょうが。ここで気になるのは珠世さんの「人間に戻る薬」である。
先週の感想でも触れたように,単に「ここ」というところで人間に戻るというのでは童磨の話とあまり変わらなく思える。しかし明確な違いはある。童磨さんはしのぶが「倒す」ことを目的に毒を入れましたけれど,珠世さんは無惨を「人間に戻そう」とした。これ大きな違いだよ。
今回,無惨は自分は人間を超越した大災として振る舞いましたけれど,結局こいつは人間に戻りたいなんて思っていないんだよな。もともとは苦行だったはずの鬼化,それが常態となり圧倒的な力を振るうに至るによって,「鬼のまま太陽を克服したい」という風になっている。
そんな彼にとって最大の罰は「人間に戻ること」である。圧倒的な力を失い,暴力ですべてを解決することもできないひ弱な青年...。自分が散々踏みにじり,殺されたのは天変地異にあったと思えなどと嘯いたそんな弱き存在になること自体が無惨にとって耐えがたい事態であろう。
いかにも無惨が苦しみそうな「罰」ですし,とんでもないタイミングで珠世の薬が発現するフラグはピンピンに立っている。多分そんな感じになるのでしょう。
が,同時にこれは鬼殺隊にもジレンマをもたらす。存在してはいけない生き物だったら遠慮なく日輪刀で切り捨てられる。だが人間は?
鬼狩りの剣で「人間」を斬れば一撃で死に至らしめることは出来ますが,そうなったら鬼殺隊はただの人殺しである。それは炭治郎にはできないだろうし,他の隊員もそうであろう。
人間となった無惨を拘束するのは簡単である。しかし無惨を当時の法でさばいて刑に服させるというも彼の罪を償わせるやり方としてふさわしいのか分からないし,そもそも罪に問えるか分からない。そうなると最後にどうやって無惨にこれまで行ってきた「罪」を償わせるのかが気になってくる。
その辺,無情には定評のあるワニ先生の手腕に期待したいところである。というわけで,再度まる。
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