無惨に毒を入れられて絶体絶命となった炭治郎。「匂いのない世界」に入り込んだと思いきや,それは受け継がれた祖先「炭吉」の記憶の中でした。
前回コメントで指摘をいただいたとおり,炭吉の記憶がフィードバックしている状態なのですね。ただ,あくまで記憶を再生しているのは炭治郎なので,主観的には炭治郎の意識がある。そういうわけか。
今回はそんな炭吉の記憶の追体験を通じた,縁壱の物語。
コミックス
祖先・炭吉の記憶の中の「縁壱」
記憶の中の時間経過は,はじめて炭吉と縁壱が出会ってから2年経った頃。
二人が最初に出会った時,すでに縁壱は何かを諦めたように日の呼吸の継承も考えず,「技を極めたものが行き着くところは同じ」「自分華にも成し遂げられなかった者だ」と言ってました。
今回のお話で縁壱が鬼狩りになるまでの経緯が描かれていますけれど,それは2年前の時点に置いて「すでに起きてしまった出来事」です。にも関わらず,誰かに話を聞いてもらいたくて,考えた挙げ句に炭吉・すやこ夫妻に合いに来た。そういう意味では今回の縁壱の思い出話はまだ「導入」であって,縁壱の自分語りは読者に対する情報開示の側面があるのでしょうね。
幸せそうに家族とともに過ごす炭吉一家。そんな炭吉の幸せそうな姿を見て,自分自身も幸せな気持ちになる。この世に生まれたことに感謝し,幸せを感じ取る。当たり前のようであって,実にそれが難しい世界に縁壱も,炭治郎も,ある意味鬼たちすらも生きているのあろうか。
母の優しさに触れては幸せを感じ。兄が自分を気にかけてくれれば幸せを感じ。出奔した先で出会った同じ年頃の女の子と共に過ごすようになって幸せを感じ。
家族を失い,悲しみに暮れている「うた」。彼女の親兄弟を想う心と,自分が親兄弟を思う心はきっと同じだったからこそ,うたに付添い,共に暮すこともできたのであろうな。同じような心を持つ,人間らしい生き方をしている人間。それがうただったに違いない。
しかし幸せな時に,いつも幸せはこぼれていってしまう。
自分が命より大切に思っているものでも他人はたやすく踏みつけにできる。鬼滅の刃の世界はいつもそうだ。家族を愛し,家族を大切にし...そんな人間らしい当たり前の生活は,他者を顧みない無神経な行動でで脅かされ,壊され,無くなっていく。
炭治郎たち「鬼狩り」が背負っているものもそう。狛治や妓夫太郎といった鬼となってしまった者たちもそう。彼らが大切にしていたもの,守るべき家族とともに慎ましくも穏やかに生きていく,そんな些細だけれどかけがえのないものがあっさりと壊されていく。なぜか。
鬼の存在。
ありとあらゆるものが美しい,そんなこの世界において「他人から奪うこと」を厭わない存在。自分のことしか考えず,他人を一切顧みない存在。鬼。
そんな鬼の始祖。鬼舞辻無惨。
人々がほんのささやかな幸せを壊してしまう,「家族を愛し,家族とともに生きることの喜び」を感じるこの美しい世界における例外。自らを天災に見立て,起きた出来事の全ての責任を打ち捨てて勝手に振る舞う存在。そんな唾棄すべき存在がいるからこそ,世界の平穏は破られる。美しい世界が乱れてしまう。
そんな悲しい世界。
「縁壱VS無惨」...と珠世
ふむ...。
ここから鬼舞辻無惨VS縁壱の戦いが描かれる流れか。読者的に対しては縁壱と無惨の間でどのような戦いがあったのかという情報提示があり,炭治郎的には始まりの呼吸の剣士・縁壱が無惨とどう戦ったかというヒントが示されるのでしょうね。あるいは,炭治郎が継承していない十三番目の型が記憶を通じて明らかになるのか。
かつて黒死牟は,縁壱は「傷一つ負ったことがない」と言っていました。純粋に「斬る」という点に関しては縁壱は無惨の首を切りかけ,死の淵まで追い詰めたことが分かっています。その意味ではこの後の戦いは縁壱の無双ぶり,勝利へのヒントが描かれそうですね。
ただ,傷一つ追うことはなかったのに,縁壱は無惨に勝てなかったことも分かっています。首を切っても太陽の光を浴びせない限り死なない,その設定どおりであれば日が出る前に逃げられてしまったのでしょうけれども,もう一つ気になるファクターがある。珠世の存在である。
なるほど。
この時点では珠世は鬼舞辻と行動をともにしていたのね。
多分に呪いを解除する前だからか。家族とともに生きるために自分が長生きしたいと願っていた珠世。そんな珠世を鬼にした結果,珠世は自分の家族を食べてしまう。
大切にしたいと思っていたものを自ら手にかけるという,これ以上無い残酷な所業に対して,珠世は憤っていた。そんなことをやらせることになった,鬼舞辻無惨を憎んでいた。にも関わらず,ここで無惨とともに行動しているのは「呪いが外せていないから」なんでしょうね。
「戦い」という視点では縁壱圧勝なんでしょうし,そのトラウマが日の呼吸に対する怖れを生み出した。だからこそ炭治郎のことも殺すことに執着したんでしょうしね。おそらくですがこの戦いの最中に珠世も無惨の呪いを外すきっかけを得たり,無惨と切り離される出来事があったんじゃなかな。現時点ではただの妄想ですが。
珠世は鬼ですし,自ら手をくだした業を背負っていますけれど,それでも「失ったもの」に対する思いは縁壱と同じ。
この後に無惨と縁壱の会話があるのでしょうが,多分に炭治郎らに吐いた言葉と大差がないのでしょう。そんな無惨の身勝手さ,他人を踏みつけていくその姿勢に対する縁壱「怒り」と,「家族への想い」。珠世はそれを見て取りながら,無惨の呪いを外してこの男と戦っていく決意を抱いたんじゃないかなとか想像したり。
まる。
余談:186話コソコソこぼれ話
①縁壱と厳勝の視点
今回,縁壱視点で幼少期から鬼狩りになるまでが振り返られたわけですが,なかなかにシンドイものがあるな。
「私の兄は優しい人だった」から始まるその回想,笛をくれたエピソードも縁壱からすると兄の優しさに触れた思い出となる。一方の縁壱は「施し」の中でこの行為をやっているわけで,縁壱がいかに兄の気持ちを理解できていないかわかります。
もちろん縁壱視点で見れば,厳勝の行動は父からかばってくれた優しい兄そのものであり,自分を頼りにせよと与えてくれた笛は縁壱を守ってやろうという兄の心づかいに感じられたというのは分からなくもないですが。
そして出奔。この後も,兄は「嫉妬する対象が消えたことにホッとしている」わけですけれど,そういったあのの心情は全く知る由もありません。うたが殺され,鬼狩りたちとともに鬼退治を行う最中に兄と再び邂逅するわけですが,それですら縁壱の認識では「部下を殺された義憤から鬼狩りに加わり力を貸してくれた」ということになっています。
一方の厳勝の方はと言えば,縁壱の呼吸法を盗み取りたい,縁壱を超えたいという嫉妬混じりの自分勝手な行動でしかなかったというのに。
こうしてみると,縁壱は全く厳勝の気持ちが理解できていない。透き通る世界が見える,そんな天性の才能を持ちながらも兄の気持ちは全く理解できていない。傍から見ても伺えそうな厳勝の嫉妬の炎が,縁壱にはまるで見えていない。なんとも言えない虚しさを感じます。
②愈史郎と禰豆子
瀕死の炭治郎を放っておいて愈史郎を先に助けるってのは,隊員の治癒を考えれば合理的ではあるんだけれども ,ちょっとえげつないな...。村田さんも半泣きになっているし。冨岡義勇のお願いがあっさり保護にされていてちょっとクスリとなる。
もちろん,話の都合上「縁壱の記憶」を炭治郎が追体験しなければならないから,炭治郎を起こさないようにするために村田を引き離しているわけですけれど。このあたりは少し作劇の都合かな。
まあこの後のことを考えれば,禰豆子が炭治郎を救う流れなんでしょうし,その他の隊員の復活についても禰豆子だけではなく愈史郎もいたほうが治癒に務められるでしょうからね。あと禰豆子を守るという観点からも愈史郎が復活していたほうが色々都合が良さそうではある。
③鬼狩りになる者,鬼になる者の違い
鬼狩りたちの多くは無惨に家族を奪われ,その怒りや悲しみから鬼狩りになっています。それは今回の縁壱に起きた出来事にも象徴されるように,多かれ少なかれ鬼狩りたちの多くは家族を無惨や無惨が作り出した鬼たちに奪われています。
一方,鬼となったものの中にも家族を奪われたものはいます。妹の梅を殺された妓夫太郎。自分が大切にしていた恋雪親子を卑怯な手で奪われた狛治。彼らもまた家族を奪われているけれども,奪ったのは「人間」なんだよなあ...。そこが違う。
今回,縁壱は美しい世界を壊すのは鬼と言っていましたけれど,そもそも人間だっていろんな者がいて鬼のような所業をするものだっている。
たまたま家族を奪われるきっかけが鬼か,人間だったかによって差が生じていますけれど構造の本質は同じであって,「他人が自分の大切にしているもの(家族)を奪った」という構図は変わらないんだよなあ...と考えると複雑な気持ちになりますね。
もちろん,大切なものを人間に壊されたからといって「鬼」になる必要はないし,鬼化させている無惨の行為が正当化されることはないんですけれどね。
④鬼殺隊成立の成り立ち
さて「鬼狩りになる者」の話として触れておきますが,今回,鬼狩りたちがいかにして呼吸を使うようになったのかという経緯が明らかにされています。以前の回想から,縁壱が全ての始祖のような印象を受けていましたが,実際のところは少し違っていた。
鬼狩りたちはその昔から無惨を倒そうと戦ってきていた。日輪刀ももともと鬼狩りたちの技術であることに違いない。柱を頂点とする隊員制度もあったし,それは剣術の型として類型化されている。ただ縁壱と会うまでは「呼吸」は使っていなかった,というわけですね。なるほど...。
「日の呼吸」の派生として「水」「炎」などの呼吸が生まれたのは事実だけれども,剣の型はもともと鬼狩りたちがもっていた剣術なわけね。呼吸法は文字通り鬼狩りたちの体力・防御力・攻撃力を激増させたけれども,あくまでそれは「追加要素」だったというわけ。
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さて,次週はいよいよ無惨に対する縁壱という話でしょうか。その中で,十三番目の型も見られるのかもしれませんね。
そして今回,わざわざ縁壱が炭吉のもとを訪れた理由は何なのか。今語られている出来事はあくまで「最初の炭吉との出会い」のときには起きていたことである。なぜ改めて炭吉と話をしたくなったのか。それは兄が鬼になってしまったことと関係あるのでしょうか。それとも無惨を倒すことが出来なかった事に対し,いつの日か誰かがそれを成し遂げるために日の呼吸の継承をしたいと考えたのか。
続きが気になるところである。というわけで再度まる。
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