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宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち : 第7章を見終えて 感想

さて。

このブログを見に来ている人は「2202」にほとんど関心がないでしょう。さりとてTwitterで呟くのも味気ないのでファーストインプレッション。多分細かいネタバレは無いと思いますが,第7章までフルに観た方を対象とした感想です。

 

 

 

物語としての「2202」


まず全体を通し,物語としてみた「2202」。

 

当然のことながらベースに「さらば」があり,「2」があるわけです。物語の「筋」として見た場合,旧作品と本作品の筋道が異なるのはむしろ当然であると思います。同じ話を現代の作画で描きなおすのであれば,「さらば」なり,「2」として作品とすればいいわけですから。

事実,「2199」の時も旧作品をベースにしながら作品の「筋」は異なる展開を経て結実しています。それでいて作品としては一定の評価が与えられたように,「筋が違うこと」自体はそうあってしかるべきかなと思ったり。


じゃあその「筋の中身」=「物語」は綺麗に構成されていたか。因果関係は明確だったか。それは共感されたり,感動を呼ぶものであったかという点ですよね。そこは人によって評価が異なると思います。肯定する人も否定する人もいるでしょう。

 

個人的にはそうだなあ...そもそもの話となってしまうのですが,結局2202を肯定するか否定するかの分かれ道はガトランティスの描き方,ズォーダーとサーベラーたちの在り方をどう見るかと思うのですよね。そこが旧作品とは大きく異なるし,それ故に物語の描き方もかなり違ってきています。

 

「2202」はどのように作られているか

旧作品はいわゆる拡張主義に走る典型的な征服支配型の国家として描かれたガトランティス。それはある意味単純で,ある意味リアリティのある世界観ですよね。現実の地球の上でも起きている,強き者が弱き者を従え,支配し,拡張していく。

 

旧作品が作られた第二次世界大戦から30年ちょっとしか経っていなかった時代では普通の帝国的国家観であり,いまなお単純な構成の映画では取り入れられている「ある日突然地球を襲ってくる謎の宇宙人」的なそれで通じます。物語の善悪はともかく,とても分かりやすい。


それに対して2202では人によって作られた人工生命としてのガトランティス,その中に作られた限りなく人間そのもののガトランティス「タイプ・ズォーダー」が失った愛,喪失愛を軸に描かれています。2202を見ていてある意味家庭的というか,星間戦争を扱っているにしては限りなく家庭ドラマ・愛のドラマ的な「狭い世界」を扱っている印象をうけるのは,多分にテーマを「愛」に据えたからでしょう。


その視点で「宇宙戦艦ヤマト」を語り,ガトランティスvs人類という構図で物語を描けば,当然のことながらそれは星間戦争ものではなく愛のドラマとなる。

 

2202もまた2199のように旧作品の矛盾点をなるべく整合性をつけて再構成するように努めています。旧作品のさまざまな描写上の「無理」は理屈づけの作業をなるべく行い,旧作品上の様々な「悔い」のようなものはなるべく解消しようと試みています。そして旧作品が背負っていたある種の自己犠牲の精神的なものを払しょくするための取り組みもしています。


多分,2202を通してみて一定の不満があるという方は,そうした取り組みを含めて抱くある種の違和感があるのでしょう...。

 

地球防衛というある種フォーマットに則った星間戦争ものとしての「さらば」や「2」の観点で見てみると,そうした作品の変化を含めて中途半端に感じてしまうでしょう。純粋に星間戦争ものとして作られておらず,そこに重点が置かれていない以上,戦闘の流れや様々な矛盾,人々の言動に対する違和感などなど,必ずしも緻密に作られているとは言い難いからです。

 

 

「2202」でやりたかったことと「宇宙戦艦ヤマト


ではズォーダーの背負った喪失愛と人類愛,人が人としてあることの業や意味,そうした愛の物語として見た場合どうなのかといえば,これは物語を通して描かれたことはそんなにフォーマットを外れていないのではないかと感じます。

ある意味,よくある愛のドラマ的なソレ...愛を失った男とそれに関わる人間たち...多分に「2202」ではなくてもそうしたフォーマットの作品を探してみればきっと見つかるのではないかと推測します。


愛の物語として観た場合「及第点」だと思いますし,面白いと感じる部分ももちろんあります。さて,それを「宇宙戦艦ヤマト」という世界観上でやる意義はどこにあるのか...あるいはヤマトの世界観と上手くなじんでいるのか...という点で見た場合,さてぼくはどんな顔をしてどんな風に言えばいいのか,まだ何とも言いかねる部分があります。

ヤマトという素材はもとより名作品として上質である。そこにズォーダー,サーベラー,ミル,古代ら人類,テレサという材料を使って愛の物語を作る,それはそれで単独としてはそこそこのものが作れる。じゃあ一つの料理としてそれを融合させた時,どうなのかということですよね。多分。


ヤマトを見に行く人は,最近見始めたそう多くない若い人を除けば,大半は僕より年配の男性諸兄らでしょう。そうした人たちが「2202」に何を求めるか,ですよね。愛の物語を求めるなら一定の肯定的評価を下すでしょうし,地球防衛という観点から見た星間戦争ものとしての宇宙戦艦ヤマトを求める人なら酷評するでしょう。


個人的には何とも言えない感じになる。悪くはない。面白いといえる部分もある。旧作品のそれっぽい部分をうまく活かして描写した部分について評価できるところもある。

 

ただ,先に述べたように本作品の多くの視聴者はその体内に旧作品の「宇宙戦艦ヤマト」を何らかの形でそれぞれの世界観を持っている。それと突合させたときの素直な気持ち,それが如実に表れる作品。それが「2202」だったんだと思いますね。

 

まる。

 

若干の追記(2019/3/2)

戦闘描写や物語の流れについて,個別にあれこれ気になることを書き出したらキリがない部分は多々あります。前後のつながらない部分。登場人物の行動とその結果に物語としての意味を持たない部分。そういうのを拾っていって作品を見ていたら,「まあ,はい...」という感じになってしまいます。なのでそこはあまり観なかったことにしています。

 

星間戦争の側面を楽しみたいなら旧作品を観たほうが楽しめるでしょうし,「やっぱりアレはああじゃないと」とか「あのマトリョーシカ展開をだな....」とか思うのであれば,やはり旧作品を観ればよいのでしょう。そういう思いが製作者側にもあるのでしょうから,敢えて拾わなかった部分,旧作品とは異なる展開となっているのでしょうから。

 

もう一度見返してみて,最初に抱いだほど「狭い意味での愛のドラマ」でもないのかなという印象を受けました。古代という人物を通じて人にとっての愛というものを描こうする意図は感じられる程度には,製作者側の意思は伝わってきます。そこを評価できる人は楽しいでしょうし,感動を覚えるかもしれない。

 

賛否両論といった世間の感想の流れでありましょうが,僕みたいにちょっとニュートラルに観てしまう人にとってのポイントは,結局のところこれが「宇宙戦艦ヤマト」である以上,ヤマトと地球・相手方の「戦う理由」が物語の主題とどれだけ合致しているかどうか...という部分に集約されているような気がしますね。

 

 

 

最新話第7章(完結版)

 

*画像は「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」 第7章 パッケージより引用しました。 

画像引用は中止しました。